久しぶりに神保町へ行ってみると、新しいジャズ喫茶が開店していました。外から店内を覗いてみたら、ほぼ満席で客の多くは中年男性ばかりのようでした。三省堂で本を買って帰りに立ち寄ったらすでに閉まっていました。ジャズ喫茶が8時前に閉めてどうする! せめて午後11時までやれって。

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Tamronからレンズが戻ってきたのでK10Dに付けて出かけました。
「特に問題なし。できる限りの調整はしました。」
との返事だったので期待してなかったですが、以前よりもピントが来ているように思います。K10Dで初めて気持ちよく撮影できた気がします。
しかし、太陽光で夜景をとると黄色すぎるし、露出も評価測光だと1段程度オーバーの傾向があります。
なかなかの問題児ですなK10D君は。

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三省堂で立ち読みした写真集と画集。


20070303231302.jpgグレゴリー・コルベール写真集
「animal totems」
こりに凝ったブックデザインが素晴らしい。
和紙なのかな? 値段も良いお値段でした。
展示会も開催されていいます。


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石田徹也遺作集
20070303231241.jpg31歳で急逝した彼の10年の活動。
「何かずーっと描いてて、描くのが僕だったと思う。描かないと僕じゃないような…」
中身は表紙の絵とはかなり違う。グロテスクと見る人もいるでしょう。しかし、一度見たら忘れられない強烈なイメージを持つ絵です。


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「木村伊兵衛のパリ」
20070303231334.jpg1954-55年のパリの街をカラーフィルムで撮った大型写真集。これまで門外不出の“幻のカラー”170点を収録しているのが売りです。
日本光学がスポンサーだったので、使用カメラはニコンSあたりかな。フィルムは富士フィルムから提供された初期のカラーフィルムで、ASA10ぐらいだったそうです。そのため、夜の写真が少なく、低速シャッターのせいでブレも多いし、ピントもシャープではありません。しかし、味のある写真ばかりです。


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現在のカメラマンはISO100でも苦労していて、ISO400を使う人も少なくありません。木村伊兵衛の当時の苦労を思うべし。おっと、自分のことだった。
1954年といえば、LEICA M3が発売された年でもあります。うーん、どれもこれも歴史ばっかり。おつなもんですな。


妻を「オイ」「ワイ(おまえの方言)」と呼ぶのを条例で禁止しようと、佐賀県武雄市の樋渡市長が提唱して反響を呼んでいる。
「オイ・ワイ禁止条例」構想だ。
オイやオマエは愛情表現だとする反対意見も出ているが、それはどうかな。そういう人は妻からオイ、オマエと呼ばれて愛情だと思えるのか? 単に言葉使いが乱暴なだけだろう。乱暴だから愛情がないとも言えないところが言葉の難しいところだが。

また、言葉狩りだとか、はては憲法の信条の自由までもちだして反対したり、ジェンダー・フリーやフェミニズムがらみで賛成する人も登場して賛否両論のようだが、少しおおげさな気がする。条例で決めるようなことではないのは論を待たないし、武雄市長(男)も本気で条例化するつもりはないだろう。(だよね?)

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武雄市長 樋渡啓祐氏
1969年生まれ。ちょっとふけてない?
しかし、オイ・ワイの禁止はともかく、昔から日本語の人称問題には興味を持っている。
映画を観ていて、ハリウッド映画と邦画の違いでまず気がつくのがこの人称の違いである。米映画の人間関係は風通しがよく、邦画の方はどうも息苦しく感じるのは、この人称と関係が深いと思っている。
日本語に一人称と二人称が多いのは、長い間日本社会が上下社会であった(今もある)ことの証だし、そうした社会の中で人間関係のバランスをとろうとしてきた歴史の結果でもある。だから単純に言葉の問題として解決できるものではないのは言うまでもない。

しかし、英語のIとYOUのように、日本語の人称が固定したらどうだろう? そうなるとずいぶん会話がやりやすくならないだろうか、その結果として人間関係も今より風通しがよくなるのではないか。
日本語は自分や相手の呼び方が神経質なまでに上下関係をあぶり出す結果になるので人称の取り扱いがデリケートで難しい。敬語の難しさも根っこは同じだ。
天皇は朕(ちん)という天皇専用の一人称を創出したし、ビジネス社会は肩書きが命だ。名誉会長とか名誉顧問とか終身名誉監督などというものまである。どれだけ偉いかが肩書き(人称)で表現される社会で肩書き(人称)はおろそかにできないわけだ。定年退職者が急に元気がなくなるのも肩書き(人称)の威光を失うからである。

ことさように人間の上下関係意識が人称を複雑にしているわけだが、人間関係を変えることは文化を変えるに等しいのでこれは難しい。それなら、先に人称だけでも変えてみるのはどうだろう。
米映画では、例えば出会ったばかりの人が、自分を、
「Call me Tom(トムとよんでくれ)」
と言ったりする。親しいからではなく、親しげに呼ぶことによって親しくなる素地を作るのだ。難しいとは思うが、日本でもしがらみのない若い人たちの間からもっと使いやすい人称が誕生することを期待したい。
オイ、ワイを禁止するだけではではどうにもならないからね。






日本語の一人称(ウィキペディアより)
私・僕・俺・あたし・あたくし・うち・おら・おいら・おいどん・やつがれ・某(それがし)・我・小生・自分・我が輩・吾・余・朕・予・儂・小職・手前・てめえ…

日本語の二人称
君・貴方・あんた・お前・てめえ・貴様・貴殿・そなた…

ウィキペディアでは肩書による二人称が省略されているが、二人称の場合は肩書で呼ぶのが日本の実情だろう。○○先生とか○○監督、○○課長とか。
お父さん、お母さん、お兄さん、叔父さん…も肩書きの一種だと言える。肩書きはそれ自体が尊称であるため、目上の人は肩書きで呼ぶことができるが、目下の者を肩書きで呼ぶことはできない。目下の者には事実上肩書きが無いのである。
「お母さん」「先生」「師匠」と呼びかけることはあっても、「子供」「生徒」「弟子」と呼んだりはしない。
はっきり言って、日本語には目上の人を呼ぶ二人称は存在しないと思っている。二人称の代わりに肩書きを使用しているのが実情だ。
目の前にいる相手を呼ぶ二人称が存在しない社会が、息苦しく、風通しが悪いのは当然のことかも知れない。

最後にわたし個人のことを一言述べておこう。
わたしは小さな広告会社の制作部というちょっと風変わりな部署にいたせいか、上司を肩書きで呼んだことがない。社長をふくめて「さん」であった。もっとも、取引先の相手は肩書きで呼ぶことが多かった。

参考資料
夫婦でなんと呼び合っていますか?
ゴーゴーリサーチNOWアンケート

上司の呼び方