朝青龍は謹慎しているのだから周りがあれこれいうのは止めたいと思っている。だがマスコミは逆にここぞとばかり朝青龍を取り上げている。中でもテレビ朝日は朝青龍をバッシングする方向に舵をきったようだ。今度はモンゴルでの彼のサイドビジネスを取り上げて新たな朝青龍批判を始めたように見える。 前から知っていたはずの事実をこのタイミングで報道することに不純な動機を感じる。批判というより話題を盛り上げてワイドショーネタになりさえすればもうけものと言った考えが透けて見えるのである。
朝青龍は協会の処分を受け入れて謹慎している立場である。この時期に謹慎の原因になった問題以外で批判するのはアンフェアであり、欠席裁判を見ているような不快を感じる。

朝青龍をめぐる問題の争点を以下の3点に絞って私見をまとめておきたい。

1 怪我は仮病だったのか。本当に地方巡業に参加できないほど重傷だったのか。
2 相撲協会の処分は適正だったか。
3 マスコミは協会側、朝青龍側双方の考えをバランスよく伝えているか。




1 怪我は仮病だったのか。本当に地方巡業に参加できないほど重傷だったのか。

仮病ではないらしいが本当のところはわからない。だが、サッカー参加は仮病を疑われてしかたのない行為だった。サッカー参加の正当性や事情を挙げて反論している人たちがいるがいいわけ以上にならない。相撲はできないがサッカーはできる種類の怪我だったなどという朝青龍擁護も「ひいきの引き倒し」である。横綱という責任ある立場にありながら本業(地方巡業)を放棄して治療目的で帰国した以上、治療に専念するべきだった。もっとはっきり言えば、ベッドから起きられないほどの怪我でなかったのなら、這ってでも地方巡業に参加すべきだった。土俵入りやちびっ子相手のイベントなど、怪我をしていても参加可能であった。それらを放棄した朝青龍は、横綱としての責任感の欠如や、地方巡業の軽視を批判されてもしかたない。この点を考慮せず骨折の程度やサッカー参加の諸事情をいくら説明しても朝青龍を擁護することはできない。しかし、
「誤解を招くことをしてすみません。これからは治療に専念します。」
報道後に、この一言があれば騒ぎは大きくなっていなかったと思う。彼のそばにアドバイスする人間がいなかったことは不幸だった。


2 相撲協会の処分は適正だったか。


第一印象は、重い!と感じた。今も重すぎると考えている。一人横綱だから大目に見られてきた勝手な行為の「つけ」が上乗せされていると思う。北の湖理事長も暗にそれを認めた発言をしている。横綱が二人になったことで関係者のこれまでの我慢が爆発したのだろう。しかし、そうだとしたら朝青龍にたいするこの重すぎる処分は不当なバッシングというべきである。処分は今回の行為に限ってなされるべきであった。だが聖人君子の組織を求めるのは青臭い議論である。感情のバイアスがかかるのは人間の組織ならどこも同じだろう。だったら横綱だけに心技体とか品位を求めるなというのは正論だが、人にではなく横綱という地位に(無理と知りながら)理想の実現を夢見ているのである。大相撲は近代スポーツではなく、一種の「神祭」であることを理解できないとこの辺の機微はわからない。

謹慎は一場所でよかったというのが個人的判断である。それが軽すぎると感じるなら罰金を重くしてバランスをとる方法もあった。相撲取りに相撲を取らせないのは単なる罰則にとどまらず侮辱である。横綱を侮辱することは相撲そのものへの侮辱につながる。その危険性の自覚が協会に感じられない。
素人考えでも、二場所も本場所を休むと復帰は相当困難になると思う。その意味では今回の処分は事実上の引退勧告と受け止めることもできる。しかしその困難を乗り越えて朝青龍には復帰して欲しいと思う。そのときこそまぎれもない大横綱となるだろう。


3 マスコミは協会側、朝青龍側双方の考えをバランスよく伝えているか。

テレビに限っていうと明らかに偏向している。いや、偏向というよりそもそも彼らは視聴率を上げることが目的なので事実を明らかにする意志が希薄である。それは言い過ぎだと感じる人が多いと思うが、私はテレビ報道にとっくの昔に絶望しているのでこれ以上言うことはない。彼らの多くはジャーナリストではなく視聴率稼ぎのゴシップ屋である。
ただし、志のあるジャーナリストが増えて欲しいと切望している。報道なくして我々が世界の出来事を知ることはできないのだから。テレビ報道のエンターテイメント化は深刻な大問題である。

補遺
朝青龍問題をホットな話題として取り上げている人たちと、私のように古くからの相撲ファンの立場から見ている人間では受け止め方が異なると思う。
社会的な話題だから取り上げている人たちは、今回の処分を社会的常識に照らし合わせて考える人たちだろう。一方私のように、子供のころ数少ない娯楽として大相撲に接した古い人間は、大相撲という特殊な格闘技(あるいは伝統芸能、神祭)と切り離すことは難しい。化石のように古い組織を前提として考えている。軍事裁判が一般の民間の裁判と価値観が異なるように、日本相撲協会の裁定が世間一般の価値観と異なったとしてもそれは認めるべきというのが私の受け止め方だ。その上で相撲協会を批判することはできるが、それは朝青龍問題とは切り離さないと争点が混乱する。親方(相撲部屋)と力士との関係についても同様である。