2007.11.10
1000万円をめぐる人間喜劇

例の1000万円の宝くじを当てていながら姿を消した人物がやっと名乗り出て無事お金を受け取ったようです。関係ないのになぜかほっとしました。
「仕事が忙しくて今日まで来られなかった」
そうです。
ふーん――、30代の会社員だそうですが、1000万という大金を放置してまで手が離せなかった仕事とは何だろうか、興味がわきます。
また、
「認知症の父が買った宝くじでは」
「自分が盗まれた宝くじ券かもしれない」
と傑作な理由を考えついて連絡してきた人たちがいたようです。それ以外にも、自分の宝くじだと連絡してきた人たちが17人いたと報道されています。
人間は奥が深いと感じました。
2007.11.10
続・三丁目の夕日

大ヒットした「三丁目の夕日」の続編。
時代劇映画と違い、こうした微妙なタイムスリップ映画は時代背景になっている昭和30年代をリアルタイムで生きた世代と、それより若い世代では評価が分かれるのはしかたないと思う。
一作目の特撮(今はVFXと呼ぶが当ブログでは昔どおり特撮とする)は絶賛されたが、この続編では特撮への批判の声が多いようだ。確かに羽田空港や急行「こだま」のシーンは特撮ありきの印象が強くて、映画より特撮技術に興味が移ってしまう。しかし、それでもなつかしさの感情の方が強くて、この時代を生きた私としてはこれだけでウルウルしてしまう。昭和30年代を生きたおじさん、おばさんにとってこの映画は昭和のテーマパークとしての価値があるのだ。若い観客はその点を許容して欲しい。
ヒットした映画の続編は観客の期待値が高いため辛口の評価となるのが常だが、私は悪くない出来だと思う。
前作で登場人物の紹介は終わっているので、前作以上に群像劇としての性格が強い展開となっている。それはいいのだが、登場人物の「その後」をていねいに描こうとするあまり、エピソードを欲張って詰め込みすぎた感がある。なかでも、中心になっている芥川賞をめぐるエピソードが最初から展開が読めるので興ざめだった。これは痛かった。オープニングのゴジラのシーンも違和感の方が強かった、夢のシーンから始めるは安直すぎる。この映画は夢ではないが似たようなものだ。冒頭から観客をつかもうとしてドハデな始め方をするのはハリウッド映画の悪影響だと思う。軽くしゃれたつもりだったと思うが、観客のウケはどうかな。
最も不満だったのは、小雪演じるヒロミだけが群像劇の中で浮いていたことだ。小雪の演技のせいというよりシナリオと演出に問題があると思う。ヒロミが苦界に身を落とした女に見えずきれいすぎるのだ。まるで現代の女子大生がアルバイトでクラブで働いているような印象しかもてない。だから、
「私のような女がいたらじゃまでしょう」
というセリフが生きてこない。観客はこんなきれいな女がいたら幸せだだろうと感じて、映画の意図とは逆になってしまっている。瞬間でもいいから、ヒロミの舞台シーンを入れるべきだった。
また、高度な特撮技術が絶賛されるわりに、本当に見たい特撮シーンが割愛されているのも不満だった。
東京タワーから見下ろす30年代の東京は作るのが大変だったのだろうと想像できるが、いつまで待っても見せてもらえない30年代東京の風景にストレスを感じた。「嵐を呼ぶ男」のスクリーンが写らなかったのも同様にストレスフルで不自然すぎた。こちらは日活との版権トラブルでもあったのか?
偉大なマンネリ映画としてシリーズ化も可能だと思う。鈴木オートの家族を中心に「男はつらいよ」のとらさんシリーズのように、大作にせずに、三丁目の狭い世間の中だけの人情話にすれば10作ぐらい作れるだろう。しかし子供たちはすぐ成長するし、高度経済成長が到来して「貧乏長屋物語」は続かないから、「男はつらいよ」のようなわけにはいかないか。監督もこれ以上つくりたくないだろうね。
悪くない出来だと言っておきながら批判ばかり書いてしまったが、ていねいに作られているし、見終わった後、気持ちよく映画館を出てこられる映画はいい映画です。
昭和30年代はあんなものじゃない、貧乏はあんなに甘くない――などと難しいことは言わずに、昭和ファンタジーとして気軽に観るのが正しい見方だと思います。エンターテイメントですから。しかし、その上であえて苦言を呈するなら、役者の顔に問題があると思います。みなさん豊かな時代に生まれた人間の顔をしていて、貧乏顔でない。こればかりはしかたないことですが、貧乏がしみこんだ顔というものがあるのです。例えば、鈴木オートの社長役が堤真一じゃなく田中邦衛だったら、薬師丸ひろ子の代わりに泉ピン子だったら…。
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