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前著『ウェブ進化論』は、私たちにWEB2.0の「向こう側」を概観して見せてくれた。今回の『ウェブ時代をゆく』は、ウェブ時代をサバイバルする方法を教示してくれる。

ただし、著者が想定する読者は、「学習の高速道路」(p87)を勤勉にドライブする人や、「渋滞」を抜け出しその先に進もうとする意欲のある人間だけであり、偽装請負の製造工場で過酷な労働を強いられている派遣社員や、日雇い派遣で食いつないでいる若き「ネットカフェ難民」などのワーキングプアーたちは含まれない。彼/彼女らは自分の境遇を社会や他人のせいにする自助精神を欠いた人間としてあっさりと捨象されている。
「社会をどうこうかと考える前に、現実問題として個がしたたかに生き延びられなければ何もはじまらない」とする著者の考えに同意するが、新自由主義が猛威をふるっているこの日本で”それしか言わない”で、ただ好きな道を見つけて邁進しろと言うだけではこの本が想定している若い読者をミスリードすることになりはしないかと危惧する。梅田氏の口ぶりは、すべてにおいて自己責任だとする新自由主義のお得意のセリフに重なる。梅田氏は日本は今も十分に豊かな国であるとの認識をもっていて格差問題に関心が薄いように感じる。アメリカ在住が長いので日本の現状にうとくなっているのかもしれない。
ただ、梅田氏はあくまで経営コンサルタントでありジャーナリストではないし、日本社会の分析をしている本でもないから、だからといって「下流労働者」に冷淡だとは思わないが。

梅田氏のオプティミズムは、今回も身内とも言えるIT業界人からまっさきに攻撃を受けている。私のような門外漢には、時代の最先端であり、輝かしいフロンティアとしてのイメージが強いIT業界だが、実際にそこで働く技術者たちは自分を「IT土方」と揶揄し、かっての「3K」どころか「7K」業種だと自虐的に語っている。
7Kとは、きつい、帰れない、給料が安い、規則が厳しい、休暇がとれない、化粧がのらない、結婚できない――であるらしい。
現実に絶望するあまり鬱病になった若いIT技術者のコメントも目にした。日本のIT業界は若い技術者が将来の夢を語れるような状況になく、梅田氏のオプティミズムの対極に位置するようなのだ。「好きをつらぬき」、「人生をうずめて」もその先には絶望しか待っていないのが現実だと言うのだ。
もっとも、辛辣にこの本を解釈すれば、こうした現状にいるIT技術者たちは「学習の高速道路」の実現によって「コモディティ」化してしまった技術者たちであり、将来そうならないためにどうするかを若者に向けて説いたのが本書と言えなくもない。
しかし、IT技術者でもなく、IT業界人でもない私のような人間は、梅田氏が展望するつきぬけたオプティミズムと、「IT土方」たちが語る現実とのギャップの大きさに戸惑ってしまうのである。


「学習の高速道路論」は私の属するデザイン業界にもあてはまる。
デザインのデジタル化(DTP)の浸透はアナログ時代のデザイン制作に激変をもたらした。DTPで制作できないデザイナーは優秀であっても DTP時代をサバイバルできない。その反面、デザイン・アプリケーションの登場が、かってなら適性に問題があると見なされるような人間にもデザイナーへの道を開いた。DTPはデザインのコモディティ化への圧力を強め、相対的にデザイン料を低下させ、労働は過重になった。DTPはデザイナーを「下流化」させる一因となり、「IT土方」ならぬ、「DTP土方」による「渋滞」を生み出している。そこを抜け出す心構えと方法を提唱したのが『ウェブ時代をゆく』というわけだが、厳しい現実を思えば、著者の自己啓発的なオプティミズムがややもするとうつろに響くのも正直なところだ。



私は梅田氏がこの本で読者として想定している若い世代ではない。著者より年長であり、フリーランス・デザイナーとして「けものみち」を這うようにしてすでに20年近くを生きてきた人間である。それでも、正直言って『ウェブ時代をゆく』のオプティミズムに強い刺激をうけた。『ウェブ進化論』、『ウェブ時代をゆく』の読後感は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだ時と似ていた。顔を上げ、(困難ではあっても)将来の夢をまっすぐ見つめる人間たちのイメージが重なるのだ。
閉塞した平成を生きている私たちが見失った「明るい未来」がここにはあり、そのことが読後の昂揚感をもたらしてくれた。あるいは私が脳天気なだけかもしれない。
上述したように、梅田氏のオプティミズムが厳しい現実とのギャップを感じさせるのは確かだが、それでも氏の提唱の多くを肯定したい。未来を肯定する心構えと気力と勇気が現状を変える力になると思うからである。

それにしても、自分の若い頃にウェブがあり、梅田氏のこのような本があればと、若い読者をつくづくうらやましく思う。