東京の天気予報
-天気予報コム-
2008.01.31 『安息の地』

『安息の地』
出演者: ジョン・リスゴー/モーガン・フリーマン
監督: ジョン・コーティ
原題: Resting Place
製作年: 1986年
製作国: アメリカ
DVD発売日: 2008/1/25




新作DVDを借りたのに、主演のジョン・リスゴーやモーガン・フリーマンが妙に若いので、不思議に思ってチェックしてみたら、なんと1986年制作のTVMだった。1986年の映画がなぜ新作なんだ? 
ウェブで情報を探してみると、未公開作品を発掘してリリースする新レーベル「Treasure Hollywood」の第1弾となるドラマ――という記事が見つかった。なるほど納得。これからもこのレーベルから日本未公開の古い映画がリリースされるなら大歓迎だ。

1972年、地方の小さな町で起きた人種差別を描くドラマ。
ベトナム戦争で名誉の戦死を遂げた黒人兵士ドワイトの遺体が生まれ故郷の町に送還されてくる。しかし、地元の白人は白人墓地への埋葬をかたくなに拒否する。
ドワイトの遺族を支援するのが遺族支援仕官であるジョン・リスゴーの任務である。リスゴーはドワイトの優秀性を証明することで町の人たちを説得しようと、ドワイトのかっての部下たちから証言を集めようとする。しかし、証言の中からドワイトの戦死を巡って意外な事実が浮かび上がってくる…

前半は人種問の緊張感がよく描かれていたので社会派ドラマを期待したが、後半は戦場で何が起こったのか? というミステリー風の展開になったため、人種問題の緊張感が分散されてしまった感がある。
後年のジョン・リスゴーは癖のある役が多くなったが、このドラマではあくまで誠実な軍人役だった。モーガン・フリーマンはドワイトの父親役だが、まだ「NYストリート・スマート」や 「ドライビング Miss デイジー 」で注目を集める前だったためか、あまり大きな役ではない。

後半のストーリー展開は、デンゼル・ワシントン、メグライアン主演の「戦火の勇気」(1996年)によく似ている。こちらが『安息の地』に似ていると言うべきだが。
若いジョン・リスゴーとモーガン・フリーマンを見たい人にお勧め。もっとも日本人の目には、20年前でも彼らは十分老けて見えるが…。

このDVDの価格は3675円だ。
TUTAYAの新作DVDの貸し出し価格は380円。ちょっと高くはないかTUTAYA。私のように毎月いっぱい借りる会員はプレミアム会員として優遇してくれてもいいと思うが。





WEB
「あらたにす」が今日開設された。
一応必要なタイトル項目はそろっているようだが、実際の中味がいまいちかなあ…といった第一印象だ。朝日・日経・読売三紙の読み比べができるのが売りだが、三紙だけだし、どうせこれまでも全国の各新聞をブックマークして特に不都合なく読み比べしてきたし、「Googleニュース日本語」もある。だから新鮮さも便利さもあまり感じなかった。
もっと感想を書こうと思ったが、印象がまだ微妙なので、サイトの批評はもっと利用してからということにしたい。

ただ、前宣伝が大きかったわりには、まだ検索機能もないし、「あらたにす」独自の記事もこれからだというのは、本当にやる気があるのかどうかちょっと判断に苦しむところだ。一応ブックマークはしておいたが、定期的な読者になるかどうかはこれからの展開次第である。




SIGMA DP1
もう出ないのでは?
とあきらめかけているユーザーに呼びかける「つなぎ」広告と思われる。
新しい情報は何もない。それでもいつかは出そうだ、と思わせる効果はある。シグマはまだあきらめていないと。
発表にはまだ相当な時間がかかりそうだが、なんと言っても「誰にも似ていない」コンパクトカメラであることは間違いないから発売を待ちたい。これ以上シグマが遅れるようなら、マネだとか横取りだなんて思わないから、お先にどこかのメーカーがAPS-C搭載のコンパクトを出してくれても、いっこうにかまわないけど…。
どこから出るにしても期待して待ってます。

ソニーのフルサイズ撮像素子が今年中に量産体制に入るそうだ。フルサイズがコンパクトカメラに搭載されたりしたらそりゃもう大騒ぎだね。メカに詳しい人ほど、出来ない理由を並べるたがるけど(一眼レフだからライブビューは無理だといった人も昔はいた)。
ユーザーの需要に応えるのが技術者だから、将来は実現してほしい。
フルサイズのGRDigital―― うーん、いいねえ。


koizumi.jpgできることならタイムマシンで2001年に戻りたい。
2001年4月-2006年9月まで、5年半もの長きにわたって小泉純一郎や竹中平蔵が進めてきた「構造改革」の中味を見抜けなかったことが悔やまれてならない。2001年に戻ることができるなら、彼らのやってきたことを改めて見すえたい。

「派遣社員」という言葉を初めて耳にしたのはずいぶん昔のことだった。政治経済に疎い私でもこれはよくないと直感した。それなら勉強すればよかったのに、身すぎ世過ぎでたちまち時間がたってしまった。
今はタケナカヘイゾーを売国奴だと思っている。「売国奴」は言葉のアヤではない。竹中平蔵という男は、本当にこの日本を、日本人をアメリカに売り渡したと思っている。小泉政権を批判する識者の警告は政権発足当時からあったはずなのに、その声に耳を傾けることをしなかった。自分が「B層」であったことを認めなければならない。できることなら2001年に戻ってやりなおしたい。

takenaka.jpg以下の記事はすでに既知に属する事柄だと思うが、個人的な備忘録として書いておきたい。勘違いやあやまりが少なくないだろう。後で書き直す所もあると思う。


「21世紀のサラリーマン社会−激動する日本の労働市場」

23前の1985年、経済企画庁は「21世紀のサラリーマン社会−激動する日本の労働市場」と題するレポートを発表した。将来の労働市場や雇用形態を予測したこのレポートは、団塊ジュニア世代が大学を卒業する頃は、もはや彼らは正社員として就職できず、不安定な非正規雇用にならざるを得ないだろうと、1985年の時点で驚くほど正確に今日の社会を見通していた。

文中「内部労働」とあるのは正社員のことで、「外部労働」は非正社員のことである

---前略---結局のところ、内部労働市場に参入できない団塊二世たちのかなりの部分がアルバイト等外部労働市場での労働を余儀なくされるのではなかろうか。昭和六〇年代半ばには、団塊の世代は四〇代、働き盛りである。一方、団塊の世代の妻たちは子育てを終えパートタイマー等の形で労働市場に参入してくる。

 この時期には団塊の世代の夫、妻、子の二世代が同時に不安定な労働市場に身をさらすことになるのである。むろん、現在のアルバイトの賃金でも若者が生活していくためには差し当たり困難はないであろう。しかし、結婚し子供が生まれ、教育費がかさむようになり、また住宅ローンを抱えるようになればアルバイトで生活することは不可能である。アルバイトを転々としながら、三〇歳前後になって内部労働市場に参入しようとしてもその壁はあまりに厚い。」


それまで禁止されていた労働者派遣法が制定されたのも1985年のことである。

ウキペディアには、団塊ジュニアが直面した「就職氷河期」をバブル崩壊のせいにした記述が見られるが、バブル崩壊のずっと前に、来たるべき未来をこのレポートは的確に予測していたのである。だが、政治は有効な対策を講じないまま「失われた1990年代」に突入した。

「マックの店長は「管理監督者」にあたらず」
この判決のもつ意義はとてつもなく大きい。
デジタル日雇い派遣をはじめとする全国のプレカリアートにとっても希望の光になったことだろう。
日本マクドナルド側が控訴するのは間違いないと思うが、原告の店長さんには最後まで頑張って欲しい。
今後に注目していきたい。
最近、本を読む前(買う前)に奥付の日付を見るくせがついた。
初版発行がインターネットの普及以前か以後か、9.11の同時多発テロ以前か以後か、小泉政権発足の以前か以後か――を確認するためである。以前と以後で私たちの意識や生活が大きく変わったと思うからだ。

このブログも、最近は新自由主義とか年金問題とか大阪府知事選とか、いっぱし政治がらみのエントリーをアップしているが、元がノンポリなので、○○主義などという立派なイデオロギーをふまえて発言しているわけではなく、自分では右だとも左だとも思っていない。確固とした支持政党もない。単に言いたいことがあって書いているにすぎず、例え政治がらみのエントリーであっても、必ずしも政治イシューと意識して書いているわけではない。

しかし、エントリーが政治がらみだと認識されると、どうしても、○○主義者とか、右か左か保守か革新か自民か民社かという風に、政治地図上に強引に分類されてしまいがちだ。しかし、これは困ったことだと以前から思っていて、できれば、政治というワクにはめられずにもっと自由にしゃべらしてもらいたい。無所属の個人が勝手に発言しているだけなんだから――

そんなことをぐちっていたら、以前にもとりあげたことのある現代思想家の東浩紀氏のブログ「渦状言論」で同じような趣旨(だと勝手に思っている)のエントリーを見つけた。さすがにインテリ学者のエントリーは当ブログと違って、議論が高級で説得力がある。
関心のある方は覗いてみてください。

大阪府知事選挙
蓋を開けてみると、橋下氏のダブルスコアでの大勝だった。
正直なところ、熊谷氏を応援していた私にとっても、テレビでの熊谷氏の印象は決して良いものではなかった。声や表情に元気がない、積極性が足りない、発言の内容がわかりにくい、口下手、演説下手――
浮世離れしたアカデミズムの住人、といった印象が強く、ひどい財政状態にある大阪に大なたをふるえる人物としては不安があった。
一方、橋下氏は、若さに溢れていて力強く、演説も上手でわかりやすかった。もしあらかじめ彼に関する予備知識を持たず、選挙中の言動だけに限ってみれば、橋下氏を否定する材料は見あたらなかった。
熊谷氏の惨敗は単に準備不足や、知名度不足だけでは説明しきれないと思う。個人としての魅力が不足していたと言わざるをえない。民主党が本気で支えていなかったという噂もあるので、本人ばかり責めるのもどうかと思うが。

当選した橋下氏と笑顔で握手する大阪のおばさんをテレビで見た。
しかし、大阪は新自由主義の嵐がこれまでに増して吹き荒れて、おばさんの笑顔は近い将来凍り付くだろう、とうのが私の見方である。

今回の結果は、良くも悪くも劇的に変わらない限り大阪に未来はない、と感じた府民の意思表示だったと思う。橋下候補に一票を投じた府民は、彼の今後の政治活動にも責任を感じて欲しい。
私は、政党やイデオロギーで熊谷氏を支持したわけではないから、橋下府知事で大阪府民の生活が良くなるなら橋下氏が再選されてもけっこうである。しばらく静観することにしよう。


  橋下  徹  無新  1.832.857

  熊谷 貞俊  無新    999.082

  梅田 章二  無新    518.563


大阪府知事選は橋下徹氏が当選しました。
石原慎太郎氏を二期も当選させてしまった東京都民の一人としては、大きなことは言えないものの、本当にがっかりしました。
都知事選の時は対抗馬が事実上浅野史郎氏しかなかったことが問題でしたが、今回の府知事選の熊谷貞俊氏は(演説は本当にへただったけど)浅野氏よりましだと思ったんですどね。
これが大阪府民の賢明な選択の結果ですか。
年明け早々暗雲たちこめる年になってしまいました。
何度も転びながら、最後まで死力を尽くした福士選手のゴールインは感動的だった。しかし、関西テレビ/フジテレビの実況中継はまるでドキュメンタリーのような構成で、福士が脱落した途端、まだレースの山場なのにアルフィーの音楽が流れだしたのにはびっくりした。これっておかしくないか? レースが終わったのかと勘違いしてしまった。

福士が脱落した後も、テレビカメラはトップ選手を無視して、しつこく福士ばかり追っていた。後半日本人のトップになった森本選手など、かわいそうなぐらい映らなかった。マーラ・ヤマウチ選手の優勝インタビューも福士の映像で中断された。
ゴルフの石川遼の試合も同様の中継のされ方をしていたから、これからのテレビの実況中継は、純粋なスポーツ実況中継と、人気選手のヒューマン・ドキュメンタリーが渾然一体化した番組構成になっていきそうだ。一位の選手より人気選手、実況中継より感動的な演出をした方が確かに視聴率を稼いでくれることだろう。視聴者も人気選手を見たいのだから、テレビ局へのクレームは少ないに違いない。
スポーツ中継にヒューマンドラマを忍び込ませる手法は、スポーツの純粋性よりも興業の話題性を高めようとするプロレスや一部格闘技業界の常套手段である。今回のマラソンレースを見ていて、一般のスポーツも同様の手法に染まりつつあるように感じた。
有望選手に注目するのはいいが、いったんレースから脱落したら、どんな人気選手であっても冷たく見放して上位選手を映すのが、実況中継のあるべき姿だと個人的は考えている。それがスポーツ報道に求められるフェアネスだと思う。

                  ********

福士選手を途中で止めるべきだったかは、本人と監督の判断にまかせるしかなかっただろう。もしプロになり、どこかの企業とスポンサー契約を交わしたら最後、体調不良でも試合を休めず、出場した以上死んでも歩けないのがスポーツビジネスの現実である。
福士選手のがんばりは感動的だったが、厳しい見方をするなら、マラソンをなめていたのではないか、監督・選手とも。結果論で言っているのではなく、レース前のメディアでの発言からそう感じた。
次回に期待したい。


『ブロークン・フラワーズ』
アメリカ 2005年監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ/シャロン・ストーン/ジェシカ・ラング


『アメリカ、家族のいる風景』 DON'T COME KNOCKING
ドイツ/アメリカ 2006年
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:サム・シェパード/ジェシカ・ラング/ティム・ロス


理学者のレビンソンが用いた「ミドルエイジ・シンドローム」という概念は、40歳前後の年齢が対象になる。
ユングは人生の折り返し地点を40歳と考え、この時期を人生の正午と呼んだ。この正午を過ぎると中年の門をくぐることになる。
なるほど、「中年度」には個人差があるとしても、middle-age=中年については40歳あたりがコアになると考えるのは私たちの常識とも一致する。

それでは、50歳代はどう呼べばいいのか。50歳代も中年でいいのか。中年以上を熟年と呼ぶ提案が一時期なされたが定着したとはいいがたい。中年と高年をひとまとめにした「中高年」の方が今では一般的だろう。しかし、それでは幅が広すぎる。年配の人という言い方は悪くないが、いまひとつ使い勝手がよくない。
老人については、行政は老人年齢を65歳と定めて、年金の支払いも65歳からに変更された。中年と老人はある程度輪郭がはっきりしている。
しかし、40代以上65歳未満はどう呼べばいいのか。50歳代の椅子はどこに用意されているのか。この「谷間世代」やはり初老と呼ぶしかないのか。

エンカルタ百科事典の付録についてきた「小学館 国語辞典 1988」で、初老を調べてみると、

四〇歳の異称。
また、老人の域にはいりかけた年頃。女性では月経閉止期、男性では作業能力が衰えはじめたときから老化現象が顕著になるまでの期間。


とあった。
ウヘッ、40歳を初老はないだろう。いつの時代の話だ?
それ以外は間違ってはいないが、この説明では漠然としすぎていてつかみどころがない。

年と呼ぶには歳をとりすぎているが、老人と呼ぶにはまだ若すぎる――そのくらいの世代を呼ぶ適当な呼称が日本にはないのだ。これは、おじさん、おばさんと呼ぶか、おじいさん、おばあさんと呼ぶかの問題でもある。つまり大問題である。
2年前来日したリチャード・ギアが、インタビューの中で記者から「中年」と呼ばれて驚いていたのを思い出す。なぜ驚いたのだろう。彼は1949年生まれだから50代後半だった。middle-aged では若すぎるのだろうか。

COUBUILD辞書でmiddle-agedを引いてみると、

If you describe someone as middle-aged, you mean that they are neither young nor old. People between the ages of 40 and 60 are usually considered to be middle-aged.

とある。かなりおおざっぱな説明だが、40-60歳までは中年でかまわないようだ。しかし、世代の呼称は洋の東西を問わず慎重になった方がよさそうだ。
江原啓之氏と細木数子氏への批判が高まっているようだ。
江原氏は、BPOからその非科学的な言動が批判され、フジテレビは番組を見直すよう求められた。細木氏は、暴力団との関係や墓石販売などが指摘され、3月には番組を降板すると報じられている。
私はテレビをザッピングしている時に偶然見かけたぐらいで、両人のテレビ番組の内容をほとんど知らない。知らないなら何も言えないはずだが、今回はあえて言及することにする。

世の中には、いいかげんな奴や、嘘つきはどこにでもいる。『宇宙人の見分け方』などというトンデモ本が出版されたりもする(ちなみに、宇宙人は、「すべてわかっているよ」といった顔つきであなたを見るのでわかるそうだ)。
しかし、いいかげんとかインチキな人間がいるからといって、それだけで他人を説教するわけにもいかないから、こういう人たちは無視して近づかないのが一番だ。だから、私は江原氏にも細木氏にも興味がないし、批判する気にもならない。
誤解を招かないよう急いで付記するが、私は神秘主義をすべて拒絶するわけではない。しかし、テレビに登場する神秘主義者、高価な物を売りつける神秘主義者、浄財、寄付を強要する神秘主義者はすべて否定する。

亀田ファミリーの時のTBSがそうだったが、問題はテレビ局なのである。視聴率がとれると判断したら、どんなあやしげな連中でも利用するテレビ局の責任が最も重い。嫌ならテレビを見なければいいというのも半分は正しいが、テレビ番組の影響力は今も大きいし、リテラシーの十分な視聴者ばかりではないから、免許制のテレビ局に良識が求められるのは当然だろう。

しかし、興味のない江原氏をわざわざ取り上げた本当の理由は、近所の書店が江原氏の特集をしていて、貴重な平台の一部が彼の本で占拠されていたからだ。書店の平台まで侵食してきた以上、興味がないですますわけにはいかない。トンデモ本のせいで良書が駆逐されるのは困る。
江原氏も細木氏も、今回の批判報道で早々に退場してもらえるものと期待している


Google、Yahoo!に次ぐ世界第3位の検索エンジンBaidu(百度)の日本語サービスが始まった。
CNET Japan
WEB
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Flashで作られたウェブブック。 音が出るのでご注意!
これだけ優れたウェブブックを見ると、将来の可能性を感じる。


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ウェブマガジン。

音声や動画をリンクさせ、マルチメディアブックにすることもできるし…。
今のところ、日本には「中味検索」程度の販促狙いのウェブマガジンしかないが、本格的なウェブブックにチャレンジする出版社、出てこい。


WEB
フォトショップのブラシツールの筆先が、○ならず、+になることがある。
これでもブラシは使えるが、大変使いづらい。
+になっているときは、キーボードのCapsLockを押すと○に変わる。
つまり、キーがCap(大文字)状態だと+、小文字状態だと○になる。


『HOSHINO'S ALASKA』がさっきAMAZONから届いた。
サンフランシスコの出版社が出した、星野道夫の軽装小型の写真集だ(2763円)。個人的には大型の写真集より、この本のようなA4程度のサイズでソフトカバーの方が好みだ。

外国で星野がどのように紹介され、評価されているのかを知りたくて買った。写真とは別に、星野道夫のエッセイもいくつか収録されている。星野のエッセイはほとんど日本語で読んでいるが、オオカミがカメラを盗むエッセイも載っているのであらためて読んでみようと思う。英語で読むとまたひと味ちがった味わいがあるかも知れない。

例えば収録エッセイ「Early Spring」の冒頭のこんな文章――

Spring has at last arrived in Alaska. and tody I will began a long season of canping.


アラスカの厳しく長い冬が終わり、待ちかねていた春が来て、また仕事を始められる星野のよろこびが、短い文章からひしひしと伝わってくる。こんな文章を読んでいると、ストーブをつけた東京の部屋に閉じこもってちまちまと仕事をしている自分が急にちっぽけに思えてくる。今年は寒いな、と背中を丸めている自分が恥ずかしくなって、アラスカは零下何度だと思っているのだ! などと意味のないことを口走ったりする。
星野道夫の写真やエッセイは、現実の些事で濁った視線を、はるか遠くのアラスカの雪原まで運んでくれるのだ。






魔法のフライパンが今週末に届くとのメールが来ました。
予約したのが2006年の3月ですから、約2年待ったことになります。
自社の製品に「魔法」という形容詞をつけてもユーザーから批判がないというのもすごいことです。ウェブでユーザーの使用感情報をチェックしたら、これが好意的なコメントばかりなので到着が楽しみです。

2年たって商品が届くというので、伊丹十三の古いエッセイを思い出しました。

俳優のチャールトン・ヘストンがロンドンの格式ある靴屋でブーツを注文した。届いたのは3年ほど後のことで、彼は注文したことをすっかり忘れていた。荷物を解いてみると、ブーツの中に木型が入っていて、奮闘したが、この木型がどうしても取り外せない。しかたなく、あきらめてインテリアにしてしまった――という話しだっと記憶しています。

2年待ちというのは、IT時代のドッグイヤーにあって、なんだかリッチな気分になりました。ドッグイヤーは人をせき立てますが、タートル(亀)イヤーは人を穏やかな気分にさせるようです。



『ホテル・ルワンダ』

制作:イギリス/イタリア/南アフリカ
2004年(2006年日本公開)
監督:テリー・ジョージ
出演:ドン・チードル
ソフィー・オコネドー
ニック・ノルティ
ホアキン・フェニックス
ジャン・レノ

1994年、ルワンダではわずか3ヶ月ほどの内戦で100万人が殺されたと言われている。その大量虐殺から人々を救った実在のホテルマンの勇気と良心を描いたドラマ。
日本では娯楽性に乏しいと判断されて、当初は配給が見送られたが、ネットでの署名活動が実ってやっと公開されたいわくつきの作品だという。うかつなことに、ルワンダの虐殺もこの映画の内容も知らなかった。
いまさらながらの映画評――。

ルワンダ虐殺があっても今の日本のジャーナリズムは、人間が死ぬシーンや死体の映像を報道しない。湾岸戦争でもイラク戦争でも、人の死ぬ映像や死体の映像は排除され、戦争はハイテクのテレビゲームのように報道されてきた。今ではそれをおかしいと思う感覚も薄れている。

しかし、ベトナム戦争までのジャーナリズムはまだ人間の死体が報道されていた。例えば、スペイン内戦に従軍したロバート・キャパの写真は、兵士が銃弾に倒れた一瞬をとらえた「崩れ落ちる兵士」だったし、石川文洋氏の報道写真には、肉片と化したベトナム兵を獲物のように得意げにぶら下げてポーズをとる米兵の姿があった。確かに残酷だが、それだからこそ見えてくるもの、理解できるものがあったと思う。

アメリカ国民にベトナム戦争の反戦意識を植え付けたとされる有名な写真(下)は、南ベトナム兵が北ベトナム兵(ベトコン)を処刑する一瞬だった(この直後射殺された。連続静止画も動画も公開された)。こうした映像は、これからは残酷だとして日の目を見なくなり、殺戮や死体はフィクションの中でしか見ることができなくなるだろう。

ベトナム

しかし、『ホテル・ルワンダ』はその虐殺や死体のシーンを比較的抑制した映画になっている。戦闘や虐殺を描いた戦争映画というより、極限状況でのサバイバルの物語である。実話を元にしているが、ルワンダの歴史を知らなくても理解できる。暗すぎず、地味すぎず、一般作品としてうまくまとめられているので最後まで退屈しない。ちょっと手際がよすぎてテーマとの齟齬を感じるほどだが、メーセージはストレートに伝わってくる。

ホワキン・フェニックス演じる西側カメラマンのセリフがそのメッセージの肝だろう。
「虐殺の事実を知っても、彼らは「怖いね。」と言うだけで、その後ディナーを食うのさ。誰も助けにはこない。」

ルワンダは石油資源を持たず、核を保有してもいない。外国資本が投資する魅力的な産業も観光地もない。
国際社会の無関心がルワンダの被害を拡大させたと言われているが、多くの日本人にとっても、アフリカの小国やそこでの民族紛争はいまひとつ縁遠く、実感するのが難しいのが正直なところだろう。
いや、ルワンダの虐殺どころか、身近な小さな暴力にさえ目をそらしているのが私たち自身の日常的現実ではないか。それを思うと、このホテルマンの愛と勇気は超人的である。
勇気がなくても、せめてこの映画を観て、ルワンダで起きた紛争を「目撃」することはできる。
まず知ることがすべての始まりだ。



予告編



WEB
フォトショップ
バスを使った切り抜き
バスなんて、こんな面倒なもの使えるものかと長い間思っていました。
しかし、今回こちらのサイトで正しい使い方をやっと知りました。
パスでの切り抜きがこんなに簡単だとは知らなかった。
動画のチュートリアルでなければわからないこともあります。
フォトショップ 簡単パス講座
【Tips】フォトショップのとっても簡単パス操作講座。 
ガセとハンドルは絶対つかむな!!
6434人が犠牲となった阪神大震災からちょうど13年です。

「阪神大震災」
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県・淡路島の北側沖の地下16キロを震源に発生、マグニチュード(M)7・3、震度7を記録した。


13年前のこの日、いつもより早く目覚めました。
NHKのニュースではまだ兵庫県南部地震と呼んでいました。
闇の中で炎上する神戸市長田区の映像、横倒しになった高速道路の映像、崩壊した高速道路の先端で宙づりになったバスの映像、一階部分が潰れたビルの映像が今も生々しく記憶に残っています。

これだけ悲惨な震災を経験したにもかかわらず、その後、姉歯建築士などによる耐震強度偽装事件が起きたのには本当に腹立たしい思いをしました。地震国である日本は、いつ何時どこでまた大地震が起きても不思議のない国です。
テレビで、「東京でなくてよかった」という発言をした大学教授がいたそうですが、阪神大震災、新潟県中越沖地震は、神戸や新潟の出来事ではなく、日本人全体の問題だと受け止めるのにそれほどの想像力は必要としないはずです。

この日を忘れないためにYouTubeで見た映像をリンクします。
YouTubeには、炎上する長田区の動画や、地震直後に駆けつけた被害者家族が、家族の死を知らされるシーンなど酷い映像もありますが、実際に罹災された方々やその関係者に配慮して、ここでは、生々しい動画を避けて、NHKの第一報と、外国からの投稿映像の「kobe Earthquake」(静止画)だけを貼り付けておきます。


阪神大震災第1報



「kobe Earthquake」では、地震の規模はそれほどではなかったのに、被害がこれほど甚大だったのはなぜか? と問題提起をしています。
Why was there such loss of life?
なぜ、これほど多くの人命が失われたのか?
Why was the damade so great?
なぜ、被害がこれだけ甚大だったのか?
Why were emergency eforts difficult?
なぜ、緊急初動対策が困難だったのか?

13年たった今、我々はその答えを得ているだろうか?

When I aboke and looked at the clock,
I heard a dreadful noize
and my room began to move around.
Ryo Watanabe (17)



kobe Earthquake




アップルの創業者=スティーブ・ジョブズが、2005年にスタンフォード大学で行ったあの有名な卒業式スピーチ(動画)に字幕をつけてくれた方いました。ジョブズの口から直接聴くスピーチは感動的です。
スタンフォード大学はスピーチの全文(英語)をウェブにアップし、それが有志の手によって日本語に訳され、動画(英語)がYOUTUBEにアップされ、今回その動画にstratosさんが日本語字幕をつけてくれました。
ジョブズのスピーチの素晴らしさもさることながら、そのスピーチが有志の手によってこうして広がるウェブも素晴らしいと思います。





昨年も同じことを書きましたが、田舎の景気は今年も良くないようで、みんな表情が冴えませんでした。シャッターを下ろした商店や廃屋が目立ち、放置された廃車もたびたび見かけました。それは寒々とした風景でした。
大型店「イオン」が進出してきたせいで、昔からのアーケード商店街「帯屋町」が深刻な打撃をうけていました。中にはイオンに入りこんだ飲食店もあったようですが、おおかたは苦しい経営を余儀なくされているようです。イオンにはシネコンが9館もあるため、街の古い映画館は軒並み閉館に追い込まれていました。懐かしい思い出のある映画館はもうありません。

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母は寝たきりになっていました。
昨年はまだこたつに座っていたし、庭に出て洗濯物を取り入れることぐらいはしていましたが、今年は見慣れないベッドに横たわっていました。父によると、痴呆も少し進んだと言います。しかし、私の顔はわかったようでした。私を見て母が微笑んだので、父が母をからかいました。普段はあまり笑わず、わがままで機嫌の悪い時も少なくないとのことでした。外に出ないせいか母の顔はずいぶん白く見えました。

私が帰った日はちょうどリハビリの日だったので、義姉と父と私で、母をベッドから車いすに移し、やって来た送迎用の介護自動車に乗せました。移動するとき、母はイタイイタイと声をあげました
母は、調子がいいときは自分の誕生日も憶えているし、話の返事もちゃんとできるものの、自分から話しかけることは少なく、リモコンでテレビのスイッチを入れることも、部屋の電気を消すこともできません。テレビをかけっぱなしにして、一日中まどろみの中で過ごしています。

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それでも、東京に帰る時母に声をかけると、
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
と、私の名前を口にして返事をしてくれました。
父には、母は今年一年もたないかもしれないと言われました。その父も高血圧で一時期危ない状態になったそうです。何かあった場合いつでも帰ってこられるよう準備をしておくようにとのことでした。

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写真を撮ってるようだから、母の葬式用写真を造れないか、ついでに自分の分も、と父に頼まれました。本当は、数年前から帰省するたびに父母の写真を撮ろうと考えていたのですが、写真を撮るとそれが遺影になるのがわかっていたので、写真が不幸を呼び込むような不吉な気がして撮ることができませんでした。いくらか若い頃の写真がよかろうとのことで、古い写真を拡大プリントすることにしました。

そういうわけで、アルバムを預かって東京に持ってきました。
アルバムには、見たことのない若い母と父の姿が写っていました。私は若い頃長い間田舎に帰らなかった一時期があったので、それは私が知らない時代の父母の写真でした。
今の私より若い父と母が写真の中で笑っていました。



わかりやすさのパワーというものを強く感じる。
もしヒラリー・クリントンが大統領に選ばれたら、28年間もの長きにわたって、ブッシュ家とクリントン家との二家族によって政権が担われることになるという指摘だ。

ブッシュ&クリントン王朝、それは嫌でしょ!

というのは非常にわかりやすい批判だ。説得力がある。

この話は当然オバマ有利に働く。しかし、アメリカが黒人や女性をすんなり選ぶとはなかなか考えにくい。今のところ改革路線に乗ったオバマと実績のヒラリーの勝負に見えるが、最後は白人男性のジョン・エドワーズ候補が飛び出して大逆転するのではないかという思いを捨てきれない。

一方、日本では――

「ねずみはチョボチョボとね、やりますよ。」

チョボチョボとやります…
これが日本の最高責任者=福田首相の年頭の抱負だった。
なさけない限りだが、このチョボチョボが案外好まれたりするのが日本だからなあ。しかし、市井の人がチョボチョボやるのはいいとして、総理大臣が公にチョボチョボを口にするのは無責任に通じる気がする。
さて、個人的に今年はどんな年になるのだろう。
とりあえずチョボチョボ行くとするか――。