2008.01.09
写真の中の父母

昨年も同じことを書きましたが、田舎の景気は今年も良くないようで、みんな表情が冴えませんでした。シャッターを下ろした商店や廃屋が目立ち、放置された廃車もたびたび見かけました。それは寒々とした風景でした。
大型店「イオン」が進出してきたせいで、昔からのアーケード商店街「帯屋町」が深刻な打撃をうけていました。中にはイオンに入りこんだ飲食店もあったようですが、おおかたは苦しい経営を余儀なくされているようです。イオンにはシネコンが9館もあるため、街の古い映画館は軒並み閉館に追い込まれていました。懐かしい思い出のある映画館はもうありません。

母は寝たきりになっていました。
昨年はまだこたつに座っていたし、庭に出て洗濯物を取り入れることぐらいはしていましたが、今年は見慣れないベッドに横たわっていました。父によると、痴呆も少し進んだと言います。しかし、私の顔はわかったようでした。私を見て母が微笑んだので、父が母をからかいました。普段はあまり笑わず、わがままで機嫌の悪い時も少なくないとのことでした。外に出ないせいか母の顔はずいぶん白く見えました。
私が帰った日はちょうどリハビリの日だったので、義姉と父と私で、母をベッドから車いすに移し、やって来た送迎用の介護自動車に乗せました。移動するとき、母はイタイイタイと声をあげました
母は、調子がいいときは自分の誕生日も憶えているし、話の返事もちゃんとできるものの、自分から話しかけることは少なく、リモコンでテレビのスイッチを入れることも、部屋の電気を消すこともできません。テレビをかけっぱなしにして、一日中まどろみの中で過ごしています。

それでも、東京に帰る時母に声をかけると、
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
と、私の名前を口にして返事をしてくれました。
父には、母は今年一年もたないかもしれないと言われました。その父も高血圧で一時期危ない状態になったそうです。何かあった場合いつでも帰ってこられるよう準備をしておくようにとのことでした。

写真を撮ってるようだから、母の葬式用写真を造れないか、ついでに自分の分も、と父に頼まれました。本当は、数年前から帰省するたびに父母の写真を撮ろうと考えていたのですが、写真を撮るとそれが遺影になるのがわかっていたので、写真が不幸を呼び込むような不吉な気がして撮ることができませんでした。いくらか若い頃の写真がよかろうとのことで、古い写真を拡大プリントすることにしました。
そういうわけで、アルバムを預かって東京に持ってきました。
アルバムには、見たことのない若い母と父の姿が写っていました。私は若い頃長い間田舎に帰らなかった一時期があったので、それは私が知らない時代の父母の写真でした。
今の私より若い父と母が写真の中で笑っていました。
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