Agfa VISTA400 1A8
谷中

昨日から「Minha Vida」を繰り返し見ている。
高知からサンパウロに渡ったフリーのフォト・ルポライター、楮佐古晶章(かじさこ あきのり)氏のウェブサイトで、「Minha Vida」は、黒白写真とそれに添えられた詩的散文で構成されたフォトギャラリーである。

デザイナーとカメラマンとの違いはあっても、彼のフリーランスとしての生態に自分と共通する臭気を感じる。いや、フリーランスの生態というより、そもそもフリーなどという業態を好む人間タイプの共通性と呼んだ方がしっくりくる。自由への希求、漂泊、孤独癖、頑固、不器用、自堕落――。
いくつかの文章を勝手に引用させてもらうことにする。

失望感と絶望感の中で
待てども、待てども
仕事依頼の電話もメールもこない。
来るのは間違い電話と広告メールばかり。
絶望感と失望感の中で頭がくらくらとしてくる。
それでも僕は生きている。
そして、世の中はまったく変わらない。

自由な孤独
僕はごく普通に幸せな家族の中で育だった。
もちろん僕も幸せな家族を築けると思っていたし、作りたいと今でも思う。
気がつくと、彼女と子どもと一緒にいると息苦しさを感じ、無性に独りを恋しくなる自分があった。
一度、「自由な孤独」という蜜を舐めた人間は、もう家族と暮らせないのかもしれない。
つくづく自分は寂しい人間だと思う。

自由人
猫の額ほどの掘建て小屋に雌犬3匹、猫1匹、マットレスのないベッド、数個の空き缶、レンガで造った釜戸、電気もなければ、水道も、便所もない・・・。
サンパウロ近郊に住むジオニージオ爺さんは、毎月100レアル(5000円)の年金で過ごす。そんな自分を爺さんは世界一の貧乏人と呼ぶ。その表情には悲壮感も屈折も感じられない。好きな時に寝て、起きて、何をするでもなく日がな1日過ごす。
 最近、何もかも捨てて、誰も知り合いのいない世界へ行きたい、爺さんのような自由人の生活を送ってみたい、と思う回数が日ましに増えてきた。そんな方向に足を踏み出しそうな自分が怖い。



「Minha Vida」はポルトガル語で、意味は”My Life”。
写真集に言葉はいらないするカメラマンは少なくない。写真そのものに語らせればよいと考える立場だ。それを否定するつもりはないが、私個人は、写真は適切な言葉を得ることによってその力を増すと思っている。
「Minha Vida」は写真集にもなっていてサイトから注文できる。




中国産毒入り餃子が問題になっているが、餃子が安くて旨いと評判の「大阪王将」が駅前に進出してきた。普段あまり餃子は食べないが、繁盛しているようなので入ってみた。

Image027.jpg驚いたのは、餃子だけを二人前注文してそれだけを食べて出て行った客を目撃したことだ。餃子だけを黙々と食べる光景は少々異様に見えた。いくら旨くても餃子だけでは食事とは言えないだろう。
また、大阪王将では餃子を注文すると「1枚でいいですか」と問い返してくる。これにも驚いた。一人1枚が普通ではないのか。
大阪ではお好み焼きをおかずにしてごはんを食べるのも珍しくないようなので、関東とはかなり違った食文化があるようだ。あるいは餃子だけで食事をすますのもよくあることなのだろうか。ネイティブ大阪人に見解を聞いてみたいところだ。いずれにしても、個人的にはこの「餃子事件」はカルチャーショックだった。

婚約者が音をたててそばを食べたことが原因で婚約が破局したニュースがあったが、夫婦間で食事文化が異なったら確かに一緒に暮らすうえでいろいろ問題が生じてきそうだ。もし相手が外国人だったらそれなりに割り切れても、大阪と東京の違いぐらいだったら食文化の違いを個人のマナーと勘違いして問題になることもありそうだ。
余計なお世話だが、大阪の人と関東の人が結婚した場合、この食事カルチャーの違いが問題にならないだろうかと気になる。私は、もし夕飯にお好み焼きとごはんを出されたら、あるいは餃子だけを妻が食べたりしたら、強烈な違和感を感じると思う。

上の写真の「朝はしっかりとうどんモーニング」は高知で撮影したものだ。「うへーっ、朝からうどんかよ」と感じる諸兄が少なくないと思う。もしあなたの婚約者がこの店に入ってうどんモーニングを食べ、「やっぱり、朝はうどんだね」と言ったら、あなたはどう感じるだろうか。私は高知生まれなので、急いで訂正しておくが、高知に朝からうどんを食べるという習慣はない。この店固有のサービスである。

食い物の恨みは恐ろしいというが、食い物の習慣も人間関係の上で要注意である。もし婚約者の食べ方が変だと感じた場合、婚約を解消する前に、それが相手の育った地方の一般的な食文化なのか、個人的嗜好なのかを見極めることを理解の第一歩とすべきだろう。日本も広いのである。