2008.04.25
聖火と政治パフォーマンス
Wikipedia北京オリンピック聖火が長野に到着する。
オリンピックと政治は切り離すべきだ、というのはその通りだと思う。しかし国際世論に訴えるしか抵抗の手段をもたない政治的弱者にとって、オリンピックが政治弾圧の存在を世界に知らせる千載一遇のチャンスであるのも事実だ。
オリンピックが政治的に利用された「事件」として思い出すのは、1968年のメキシコオリンピックだ。陸上200m走でメダルを獲得した二人の黒人選手が、表彰台で黒い手袋をした握り拳を突き上げ、国旗が掲揚される間うつむいたままの姿勢をとり観客を驚かせた。黒人選手はアメリカ国内での黒人差別をこうしたパフォーマンスで表現したのだった。
この二人の黒人選手・スミスとカルロスはアメリカ・ナショナル・チームから除名、オリンピック村から追放、メダルは剥奪された。帰国後も、二人は激しい批判にさらされ、ほとんどのスポーツ界から追放された。しかし後年名誉を回復し、2005年には二人の抗議行動を賞賛するための銅像が建立された。
土佐の山猿だった少年(私のこと)も、テレビでこのパフォーマンスを見た。政治や国際問題にまったく無知だっ少年は、アメリカの黒人問題をこの時初めて強く意識した。メダルを獲得した若きエリートアスリートである二人の黒人選手は輝かしい人生が約束された存在だったのに、エスタブリッシュの反発を招く行為をあえて選んだ。そのことに、やむにやまれぬ何か切実な問題があることを無知な田舎少年でさえ感じとったのだった。
北京オリンピックが成功するといいと思っている。オリンピックも見たい。
しかし、チベット亡命政府やチベット人民が、中国の人権弾圧を国際世論に訴えるためオリンピックを利用したとしても、それを頭から否定する気にはなれない。
1968年のメキシコオリンピックと黒人問題に直接の関係はなかったが、チベット弾圧は開催国中国の政治問題である。オリンピックの開催国になることは、国際社会で名誉ある地位を得ることでもある。中国は名誉ある一員であることに恥じない存在にならなければならない。
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