近頃、「コモディティ化」という言葉を見かけるたびに落ち込む。
コモディティとはもともと“日用品”のことだが、今は“ありふれた平均的な仕事/商品”の意味で使われる。使われ方としては“コモディティ化しないように”と否定的な文脈で使われる場合が多い。
私が生業としているブック・デザイン業界でも、デジタル化、DTP化の浸透により、デザインの「コモディティ化」が顕著になってきた。おまけに、安価/無料のデザイン素材やフォントが提供されるようになり、「デザインは安く簡単に出来る!」という意識も強まっている。さらに「ジェネレータ」といった自動デザイン・ソフトまで出まわってしまったら(書籍の「組版」はとっくに自動化されている。)、この先デザインの「コモディティ化」は進む一方で、デザイナーという職能の存続すら危ういと感じるぐらいである。
なにはともあれ「コモディティ化」の波から一頭抜け出さない限りプロとして生き残る道はないというのが「コモディティ化」が話題になる際の結論になる。

かってグラフィック・デザイン業界には“早い、安い、うまい”という便利屋的なデザイナーが存在した。しかしデジタル時代の到来で彼らの存在価値はかぎりなく減少した。もはや要領の良さや、そこそこの平均的な実力だけではやっていけない。自分にしかない際だった「売り」や「個性」を持たないデザイナーはプロとしてサバイバルできない時代になってしまったのである。
しかしブック・デザイナーはイラストレーターなどと違い、もともと「作家性」を売りにすることになじまない職能である。強い個性をブック・デザイナーに要求すること自体に無理があるのだが、そうはいってられない時代が来てしまったのである。やたら目立つことばかり狙ったハデであざといデザインが増えてきたのはこうした背景があるためだ。ハデで目立つことが「コモディティ化」を避けることには必ずしも繋がらないのだが、そのことを言語化するのは難しい。
より目立て!
より個性的であれ!

との圧力は強まるばかりである。 

コモディティになるな、というのは簡単だが、実行は至難の技である。極論を言うと、イチローや松井になれと言われるようなものである。そりゃあ、厳しすぎるんじゃありませんか!――したがって「コモディティ化」という言葉を見かけるたびに落ち込むようになったのである。自分なりに「コモディティ化」から抜け出す努力はしておりますけどね…