東京の天気予報
-天気予報コム-
久しぶりに回る寿司屋に入った。
中には30〜40%も値上げされている寿司ダネがあって驚いた。おまけにネタが小さくなっていたので実質倍近い値上げだ。ちょっと腹を立てながら喰ったのであまり旨くなかった。
もともとわたしは、いわしやあじ、さばといった安い魚が好きなのだが、目の前に安い絵柄の皿ばかりが積み重なったので少々恥ずかしくなった。
値上げは石油価格の高騰のせいだろうが、こんなことではおいそれと寿司を口にできなくなりそうだ。今後さらなる値上げがみこまれているようなので、魚派のわたしとしては非常に困ります。


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アームレストが突然壊れた。
使っている時は自覚してなかったが、アームレスト無しではもうマウス操作はできないことがわかった。腕への負担がまるで違うのだ。幸い2個持っていたので、しまい込んでいた方を出してきた。
右腕が今でも痛いのはマウスと関係があるに違いないので、思いついてマウスを左で使うことにした。仕事では無理だが、趣味のネット巡りなら左でも差し支えない。今はぎこちないが慣れるとなんとかなるだろう。しかし、長い習慣から右腕がマウスを求めてたびたび空中をさまようのは自分でもおかしい。
キーボードを打つ→マウスに腕を伸ばす――これは一連の動きなので、マウスを左に移したら、キーボード操作までおかしくなってしまった。
どのぐらいしたら左のマウスに慣れるのだろうか。自分を観察したい。

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プライド(自尊心)について思うところを少し書いてみたい。昨今“切れやすい”若者が増えたと言われるが、それは高すぎるプライドが原因ではないかと思うからである。

単なる印象にすぎないが、秋葉原殺人事件の加藤智大もかなりプライドの高い男だと思う。自分の容姿を実際以上に“ぶさいく”と決めつけていたのも、謙虚さからではなく高すぎるプライドから生じた投げやりな認識ではなかったか。

プライドが高い(高すぎる)といった言い方をしているが、それでは高すぎるプライドとはいったい何にたいして高いのだろう。それは世間が認める能力/実力に対してである。もし世間の評価どおりであればそれは高くも低くもない。実力以上にプライドが高い場合に高すぎるプライドと呼ばれる。“空威張り”という言葉を援用するなら、実力の裏付けのない高すぎるプライドはいわば“空プライド”である。

“空プライド”は自己イメージを守る鎧である。自分をかっこよく見せたい若者はたいていプライドが高いものだから、25歳の加藤の“空プライド”が高かったとしても特別な意味はない。しかし、若者の“空プライド”は根拠のとぼしい過大な自己評価に支えられているにすぎないから、世間では通用しないことが多い。そして世間の評価と自己評価とのズレが大きいとストレスや軋轢、自信喪失、怒りの原因になり、心理的抑圧が増大する。
高いプライドと世間の評価(現実)の間の深刻な齟齬が、加藤という男に必要以上の劣等意識と激しい怒りを持たせる一因となっていたのではないかと思うのである。

                  *********

若者のプライドで思い出すのは、『コーチ』という本である。以前『カメラ的日乗2.0』にこの本の感想を書いたことがあるが、ここでの都合にあわせて引用する。

この本は、今はベストセラー作家になった著者が中学時代の熱血教育者の思い出を綴ったノンフィクションである。
身長193cm、体重100kgの名物コーチ・フィッツはバスケット・ボールとベースボールのコーチで、鬼のように恐れられる存在だった。しかし、時代が変わり、彼の熱血コーチぶりが世論の逆風と父兄の反発にあうようになり、彼は学校を追われようとしていた。そんな噂を耳にした著者は数十年ぶりにニューオリンズの母校を訪ねて、かっての恩師の苦悩を知る。そして世間の風潮への反論として、また、恩師への感謝と尊敬の念を伝えるためこの本を著した。

コーチ・フィッツは言う。

「今時の子供は、生まれたときからプライドを尊重されている。だんだんにプライドを培っていくわけじゃない。だから叱られたりすると、とんでもない侮辱を受けたと憤慨する」

昨今の若者が“切れやすい”などと言われるのも、尊重されすぎたプライドが一因ではないか。昔は、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」「可愛い子どもには旅をさせろ」「他人の飯をくってこい」などということわざがあった。これらのことわざは、厳しい浮世で鍛えられることで、子どもが一人で生きて行ける力をつけるよう願う親心を表したものであるが、子どものプライドを培うための修行とも解釈できる。
しかしそれがいまでは、親の欲目や過度な干渉のせいで、子どもたちの修行の場が奪われ、“空プライド”の若者ばかりになってしまったのではないだろうか。子どもが変わったというより親が変わってしまったのである。

ある学校の学芸会「白雪姫」で、どの親も自分の子どもを主人公にさせたがり、結局白雪姫が25人になってしまったという。いくらモンスターペアレントとはいえにわかには信じがたい報道だが、さらに驚くことに白雪姫が25人いてもかまわないと答えた父兄が少なくなかったというのだ。
自分の子どもが主役になれさえすれば他はどうでもいいのである。いや、子どものことを考えているかどうかもわかったものではない。実社会ではこのようなゴリ押しが通用するはずもないから、社会人になった後を心配して挫折に耐えられる子どもにすることが重要なのに、子どもに「旅」をさせず、親のコントロールできる狭い領域に閉じこめてしまうのは親のエゴでしかない。これなどは子どもから社会修行の場を奪う極端な例と言えるだろう。

コーチ・フィッツはこうも言っている。

「なにしろ、おれが何かやろうとするたびに、親が口出ししてくるんだ」

コーチ・フィッツとにって、プライドとは与えられるものではなく、経験を積み重ねる中で自らが獲得してゆく性質のものである。しかし、今の子供は親に大事にされるあまりそうした経験を積む機会を奪われているのだ。

加藤智大も母親の過度な干渉の元で育ったと報じられている。彼の母親は智大が着る服まで管理していたという。彼もまたプライドを培う修行の場を奪われ、“空プライド”が是正されることがないまま社会人となり、当然世間には通用せず、傷つき、憤懣と怒りを蓄積させ、最後に噴出したのではなかっただろうか。

以上でプライドについての考察はオシマイにしてもいいのだが、一言付け加えると、製造現場において派遣社員が従事している単純作業は何年続けてもプライドが培われることのない絶望的な仕事である。若者にプライドを培うチャンスを与えず、消耗品のように働かせることを認めた派遣法は即刻廃止すべきだ。消耗品にプライドはいらないが人間はそれが必要だからである。

派遣労働者として働く若者たち








昨日のエントリーで取り上げた福居伸宏氏の夜写真に刺激されたので、さっそく、“二番煎じ二番煎じ”とつぶやきながらカメラを持って夜の東京郊外を徘徊してきました。といっても一眼レフと三脚を持ち出す根性はないので、自転車に乗り、コンパクトカメラをポケットに入れてショボショボと…

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手振れ補正なし、高ISOはノイズまみれのコンデジを、ガードレールや自転車のサドルや身体に押しつけて、ピントは無限遠、あとは2秒のセルフタイマー頼み、という今となっては原始的撮影方法でエイヤッと深夜の東京郊外を切り撮ってまいりました。
零時〜午前3時頃の写真です。昔でいうところの、「草木も眠る丑三つ時」ですな。しかし、東京は眠りません。どんな深夜でも人影を見かけます。わたしのようなあやしい人間も出没します。堅気の人はなるだけ出歩かない方がよろしいかと…。

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最初からわかっていたことですが、松本コウシ風にも福居伸宏風にもならず、中途半端なヘタレ酔鯨風になってしまいました。まあ最初はこんなもんでしょう。それでも、なかなか面白かったですよ。なんかはまりそうな予感――そのうち一眼レフ+三脚+本気モードでやってみたい、と鼻の穴をふくらませております。

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しかし、深夜に徘徊しながら撮影するのはかなり太い神経が必要だと思いました。他人から見ればそうとうあやしい行為であることは間違いありません。今回のコンデジでもそう思うくらいだから、一眼レフと三脚ともなると、近所住民の詰問やオマワリさんの職務質問に対する準備は必須です。
※写真をクリックすると大きなサイズで見られます。ノイズを気にしない人だけクリックしてください。



【追記】
福居伸宏氏も語っているとおり、上の画像の4枚目、5枚目がそうですが、東京の夜は照明が多いので、どうしても逆光になったり、光源がフレーム内に入り込んできます。そうした写真はごく普通の夜の写真になるのであまりおもしろくありませんね。

さて、その街頭の照明ですが、これまでの水銀灯からナトリウム灯に置き換わりつつあります。おなじみのグリーン色かぶりから、ナトリウム灯の黄色っぽいオレンジ色への変化はカメラマンにとっては大きな変化です。上の写真のような水銀灯ならではの色合いもそのうち見られなくなる時代がやって来ます。長い間つきあってきた水銀灯のグリーンかぶりの色が無くなると思うとちょっと寂しい気持ちがしなくもありません。


ちょっと驚く写真サイトに出会いました。

福居伸宏 EVERY SUNDAY

夜の光景を撮影した写真と聞けば、多くの人が思い浮かべるのはたぶん松本コウシ氏の「眠らない風景」ではないでしょうか。いまさらわたしが言うまでもなく、氏の夜写真はどこかシュールで、ドラマティックでとても刺激的です。松本氏が夜写真の確固としたひとつのスタイルを作り上げてしまったので、夜の光景を撮るとどこかしら松本コウシ氏の二番煎じ見えて困るほどです。

しかし福居伸宏氏の夜写真は松本氏のそれと違いまったく異質です。最初見たときは夜の写真だとはわかりませんでした。なにやら独特で不思議な色合いだなと感じたのが第一印象です。説明を読んで初めて夜の撮影だとわかりました。

福居氏の夜写真は松本氏のようなドラマティックな物語性や力強さにはとぼしく、どちらかというと静謐で、単調な印象すら受けます。ただの普通の夜の風景と見えなくもありません。たしかに、よく見るとなじみのある夜の光景だけど、しかしそれが写真でこのように表現されたのは初めてではないでしょうか。福居氏の写真はその意味でまったくのオリジナルだと言えます。夜写真のもうひとうのスタンダードが誕生したと言えるかもしれません(福居氏の作品はすでに数年前に発表されたものなので、今頃“誕生”というのはわたしの勝手な都合ですが…)。
福居氏がベッヒャー夫妻のタイポロジーを意識しているところにも興味深いものがあります。わたしはタイポロジーについてはいまひとつ理解不足ですが、福居氏の夜写真をみたときまっさきに頭に浮かんだイメージがベッヒャーだったからです。福居氏の夜写真はエンターテイメント性が希薄で、どちかかというとコンセプチュアルなアート写真と呼ぶべきかもしれません。、高尚でとっつきにくい印象がありますが、わたしは衝撃をうけました。

写真表現のフロンティアがこんなにも身近にあったことは驚きであると同時に、写真を撮っている身としてはちょっと悔しい気もします。

このところ、というかかなり前から、ツタヤやコンビニやファストフード店で、こちらの手を両手でつつむようにしておつりを渡そうとする店員が増えているけど、あれは仕様ですか^^?

若くてかわいい女性の店員さんからにそんな風に渡されると悪い気がしない人が多いかもしれないけど、わたくしはちょっと気持ちの悪さが先にたつ。男の店員さんだったらなおさら気色が悪いので、できたら止めてほしい。
かっては、こちらの手に1mmでも触るのが嫌だとばかりさっと手を引っ込める店員もいてそれはそれで感じが悪かったけど、必要以上に慇懃なやり方も不自然で感じはよくない。お願いですから、おつりはもっとフツーに渡してもらえないものですか。

どこかの管理職が、皆さん、これからはお客様におつりを渡すときは両手でやさしくつつむようにして渡すようにしましょう。その方が丁寧な感じが表現できて、お客様に喜んでもらえるでしょう。ええ、それがいいですねいいアイデアですねわかりましたねそうしましょう! と決めたのだろうか。それが好評で、みんながマネした結果普及したということなのか。
そうだとしたらそれは根本的に勘違いです。おかしいです。
昔のようにおつりはフツーに渡してくださいフツーに。フツーは決して失礼ではありません。自然なフツーが一番ですから。



「自分で考える前にググっていませんか?」(Life is beautiful)という指摘にはドキッとした。
道具が便利になればなるほど、その扱いに気をつけろと言う話。これはなにもgoogle記事のコピペだけの問題じゃないなあと思った次第…。


2008.06.17 大丈夫か日本
いろいろあっても、ゴミはちゃんと集荷されているし、電車は時刻通り走っている――だから日本はまだまだ大丈夫だ。
何か事あるたびにそう思っていた。
しかし、これまで朝8時にはきちんと集荷されていたゴミがときどき正午になってもそのまま放置されるようになった。
電車も深刻な事故を起こすし、正確無比だった時間が時々遅れるようになった。
本当に日本はダメになったのかもしれない。

2008.06.17 新宿へ

新宿西口
久しぶりに新宿に行ったら見慣れないビルができていた。
ビルができるくらいだから、本当に久しぶりだったんだなあ、驚いた。

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久しぶりにカメラのシャッターを押した。



エキサイトの『カメラ的日乗2.0』からこちらへ移ってもうすぐ二年になります。アクセス数がちょうど50万になりました。世の中には一日何万ものアクセス数を誇るブログもありますが、辺境で細々と運営している当ブログとして50万は大変な数だと思います。
チリも積もれば山となると申しますし、(オイオイッ)
また、枯木も山のにぎわいとも言いますし…。(オイオイオイッ)
アクセス数がブログの質を測るモノサシになるとは限りませんが、励みになるのは確かです。ろくにテーマもなく、いきあたりばったりの記事しか書いていないのに、これだけ訪問してもらえてうれしい限りです。


ところで、昨年の9月に「なかのひと」というツールを導入しました。組織の中の人から当ブログへのアクセス数を集計するソフトですが、この機会に現時点でのベストテンを発表します。

1 富士ゼロックス 
2 日本ヒューレットパッカード 
3 鹿島建設 
4 富士通
5 トゥー 
5 松下電器産業 
6 東京工業大学 
7 リコー 
8 東海共同印刷
9 カシオ計算機
10 パディジャパン 


富士ゼロックスさんと日本ヒューレットパッカードさんはダントツのアクセス数です。いつもありがとうございます。
「なかのひと」の「あしあと帳」によると、10位のパディジャパンは“激レア”、8位の東海共同印刷 は“めずらしい”と判断されています。どういうわけか5位のトゥーは表記無し。これらはちょっと失礼な表現かも…。
ちなみに他の企業は“超メジャー”となっています。

「なかのひと」の皆様、そして、自営業・個人の皆様、当ブログがスタートした当初から継続的に訪問してくださっている方々、どうもありがとうございました。いつまで続くかわかりませんが、今後ともこれまで同様よろしくお引き立てのほどお願いいたします。

平成20年6月15日
土佐の酔鯨拝


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「人間と話すのって、いいね」
加藤智大が携帯サイトに書き込んだこの文章に胸を打たれた。
彼の孤独の深さが凝縮されている。
この文章の3分前に彼は、
「店員さん、いい人だった」
とも書いている。
「人間と話すのって、いいね」というのは、彼がナイフを購入した店の店員と交わした会話のことだった。このときの様子が店の防犯カメラに記録されていて、加藤は本当にうれしそうに話しており終始笑顔のままだった。
彼が「いいね」と感じた会話が、家族でも恋人でも友人でも仕事や趣味の仲間でもなく、ゆきずりの女店員との一瞬の会話であったことに彼の深い孤独と社会との断絶が垣間見える。理不尽な無差別殺人者であるにもかかわらず、ネット住民の多くが同情的なのは、彼の抱えていた孤独を自分の孤独として共鳴しているからではないか。
私もその一人かもしれない。


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mainichi jp
秋葉原無差別殺傷事件で逮捕された加藤智大容疑者が、書き込んだとみられる携帯サイトの掲示板の主な内容( 閾ペディアことのは(Birth of Bluesさんのブログ)とasahi com.からの引用)。
加藤は自らを「携帯依存」と呼び、5月中旬以降だけで書き込みは約3000回に上っていた。

加藤智大(殺人ブーン)、事件前夜までの携帯サイトの書き込み



■■■■6月5日■■■■

06/05 04:28
一人は嫌

06/05 04:32
また長い一日が始まる

06/05 04:32
ただただ苦痛なだけ

06/05 04:52
朝からイライラする

06/05 04:52
ああ、そういえば、クビ延期だって

06/05 04:53
別に俺が必要なんじゃなくて、新しい人がいないからとりあえず延期なんだって

06/05 04:54
派遣がやってた作業をやりたがる正社員なんているわけない

06/05 04:54
自分は無能です、って言ってるようなもんだし

06/05 04:57
次の職場には多少の女性がいるはずなのに

06/05 04:58
宝くじは買っても当たらないけど、買うことすら禁じられた
そんな気分

06/05 04:59
環境が変われば環境に対応するのにいっぱいいっぱいになるから、しばらくは「彼女ほしい」とか思わなくてすみそうなのに

06/05 05:00
今までそうやって耐えてきた
もう半年だし、そろそろ限界

06/05 05:02
今回は少し頑張りすぎた
早くリセットしないと

06/05 05:03
どうせどこにいっても一人だろうけど

06/05 05:04
歳も歳だし、使ってくれるとこも減ってきた

06/05 05:11
こんなにやる気ないんだからさっさとクビにしてくれ


06/05 05:12
今週は土曜日も出勤
どうせ一人でやることないんだから、別にいいけど

06/05 05:28
目覚ましが鳴った
起きてるっつーの

06/05 05:33
最初からなにもしない奴なんていない
結果が出ないからなにもしなくなる

06/05 05:38
結果がでないのに続ける奴はバカ

06/05 05:45
何も考えてない奴らって幸せそうでうらやましい

06/05 05:49
なんだかんだでちゃんと出勤する俺ってなんなの

06/05 05:51
出勤することと仕事をすることは別だけど

06/05 06:04
日に日に人が減ってる気がする

06/05 06:05
大幅なリストラだし、当たり前


06:17 作業場行ったらツナギが無かった/辞めろってか/わかったよ

11:51 犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする

12:05 「誰でもよかった」/なんかわかる気がする

12:32 東京の道路って面倒くさい

12:33 トラックで行くのは無謀かもしれん

■■■■6月6日■■■■

01:44 あ、住所不定無職になったのか/ますます絶望的だ

02:48 やりたいこと…殺人/夢…ワイドショー独占

02:54 工場で大暴れした/被害が人とか商品じゃなくてよかったね

02:55 それでも、人が足りないから来いと電話がくる/俺(おれ)が必要だから、じゃなくて、人が足りないから/誰が行くかよ

 同  誰でもできる簡単な仕事だよ

03:00 別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか

03:07 仕事に行けっていうなら行ってやる/流れてくる商品全部破壊してやる

03:09 彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった/希望がある奴(やつ)にはわかるまい

03:10 で、また俺は人のせいにしてると言われるのか

 同  いつも悪いのは全部俺

05:04 出勤時間になると目がさめてしまう/もう行かないんだから寝かせてくれ

06:41 とりあえず出発しよう

07:06 飛び込み自殺で東海道線がとまりました/何もかもが私の邪魔をします

08:10 三島まで出れた

08:15 こだまに乗れる/名古屋に1016着予定で、乗り換え5分でひかりに

09:46 こっちまで電車で来たのは、トヨタの期間工に応募して落ちたとき以来だ

10:35 米原で乗り換えだ

10:37 長良川超えた/堤防でいちゃついてるカップル、流されて死ねばいいのに

11:14 買い物/通販だと遅いから福井まででてきた

14:39 店員さん、いい人だった

14:42 人間と話すのって、いいね

17:59 三島ついた

20:30 うん/長旅だった

20:49 ナイフを5本買ってきました

■■■■6月7日■■■■

06:37 さあ出かけよう

08:03 今日は秋葉原/お金をつくりに行く

09:14 隣の椅子(いす)が開いてるのに座らなかった女の人が、2つ隣が開いたら座った/さすが、嫌われ者の俺だ

10:45 秋葉原ついた

11:41 定価より高く売れるソフトもあった

13:14 レンタカーに空きがなかった/トラックじゃ仕方ないかも

13:43 さあ帰ろう/電車に乗るのもこれが最後だ

15:35 大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです/どうせ俺は社会的信用無しですよ

16:01 小さいころから「いい子」を演じさせられてたし、騙(だま)すのには慣れてる/悪いね、店員さん

16:03 無事借りれた/準備完了だ

19:36 「死ぬ気になればなんでもできるだろ」/死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね

20:34 もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる

20:53 中止はしない、したくない

■■■■6月8日■■■■

05:21 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います/みんなさようなら

05:44 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな

11:45 秋葉原ついた

 同  今日は歩行者天国の日だよね?

12:10 時間です

加藤が2トントラックで凶行におよんだのは午後12時35分ごろである。


      ******************************************


加藤の「つなぎ」があったかなかったか、彼が首の対象であったかなかったかは大きな問題ではない。
いつでも首を切られる不安定な職場で働いていたこと、作業着をかくされるような嫌がらせが起こりうる職場だと感じていたことが問題の本質である。

派遣との関連で今回の事件を説明するブログが多い。派遣とは関係ないとする者もいる。実際のところはわからない。しかしいずれにしても、今回の秋葉原通り魔殺人事件は当局に治安の不安を与えたようだ。どんな凶悪犯罪が起こっても治安上の問題にならない限り当局は動かないものだ。今回の事件が治安悪化の不安を当局に与えたとすると、それは当局が労働者派遣法と事件を関連づけて考慮しているということだ。
派遣と事件の実際の関連がどうであれ、今回の事件は派遣法を見直すきっかけになるだろう。

秋葉原通り魔事件掲示板書き込み6月5日(閾ペディア ことのは)

近所のスーパーにバターが無くて困っている。
私の朝食はこの数十年、珈琲・ホームメイドのトースト・目玉焼き・小松菜――と決まっているので、バターが無いと困るのだ。この機会にトーストは止めようとも思ったが、炭水化物依存症的なところがあるので止めることができない。
しかたなく“バターもどき”のマーガリンを買ってきた。品不足はすぐ解消されるとタカをくくっていたが、マーガリンを買うのも今回で三度目になる。
バター不足の原因は農林水産省のおバカな役人がおバカな生産調整をしたせいだ。自然の生産物は不足したからといって急に増産などできっこないから、これからも当分品不足が続くことを覚悟しなければならない。
いやはや、バターが無くなるなんて夢にも思わなかった。

マーガリンでいいではないか、と思った人は、こちらこちらに目を通すことをお勧めする。
マーガリンに含まれる「トランス脂肪酸」は身体にとって諸悪の根源です。だから欧米では禁止されているのに、これまたおバカな理由で我が国では野放しになっています。




2008.06.07 心地よい日


快晴。
心地よい風が吹く日。
気分がいいので昼間からビールを飲む。

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それだけで満ち足りた気分になれる日。




2008.06.05 夜の同伴者


昨夜も男は眠れなかった。
睡眠障害というやつだ。
たまに運良く眠りにつけた夜でも、3時間もたたず唐突に目覚める。そうした状態がもう長いこと続いていた。寝酒を飲んでも眠れないのは同じだった。しかし男は睡眠薬に頼ることは考えたこともなかった。薬が嫌いだった。



男は眠ることをあきらめ、ベッドを抜け出し、夜の住宅街を歩いた。
深夜というより早朝に近い時間だ。
小糠雨が降っていた。6月にしては気温が低い。
だんだんと雨脚が強くなってきたが、男は傘を持っていない。
男はウインドブレーカーのジッパーをあごまで引いて襟を立てて背中を丸めて歩いた。

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目の前の路地を突然黒いものが横切った。
猫だ。
猫は一瞬立ち止まり男を見た。
そしてすぐに関心を無くし走り去った。

オマエも眠れないのか。





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この本で特別好きな写真と文が二カ所ある。





小さいころ
いろんな人たちが、
「うちにおいでよ」って
手をさしのべてきたんだ



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「やだ」
と答えたぼくに、
もう帰る家はありません。



*****************************

わたしも若い頃、人の親切や好意を袖にしてきた。
若者の無知と傲慢ゆえである。
そして、帰るべき場所を見失った。
しかし、それでも生きてゆく。





2008.06.02 梅雨入り
関東甲信越地方は本日梅雨入り。
関東は昨年より20日早いそうだ。

今年になってからずっと不運が続いている。
この早すぎる梅雨入りもそうだ。
ったく…、人生はままならない。



『のら道』
文・写真 石津昌嗣 
アートン


書店に並んでいる猫の雑誌や写真集はかわいいいペットの写真ばかりだ。
別にそれは悪いことではないが、個人的には野良猫の写真が少ないことが不満である。
一方、ウェブサイトには、ペットではなく、地域猫や野良猫の写真を中心に発表している人たちがいて、彼らの写真は市販の猫写真集とは一線を画していて共感する写真が少なくない。しかしそれでも、描写や構図の完成度を追求した写真が多く、基本的にはかわいくてロマンティックな“作品”として仕上げられていることがほとんどだ。これはある程度しかたのないことだと思うがやはり不満が残る。理想化されることによってリアルな野良猫の生活が感じられなくなるからである。

そんな中で、かわいさや“完成度”を追求しない珍しい野良猫の写真集がこの『のら道』である(急いで補足するが、見る人によっては十分かわいい野良猫である。かわいくないという意味は一見した外観のことを言っているにすぎない。また、当然ある種の逆説的な“完成度”を追求している)。

この本を一言で説明すると、猫のかわいさではなく、野良猫の現実生活を追求した写真集である。もちろん現実生活とはいっても、悲惨な印象をあたえる写真は慎重に避けられている。かわいさに頼らず、かといって悲惨な現実をストレートに出すわけでもないところにこの写真集の創意と工夫を感じる。

この写真集は、逆光でコントラストが低下した写真、ゴーストやフレアーが盛大に出た写真、ピンぼけの写真、手振れした写真――ばかりで、いわゆるきれいな写真がない。もちろん著者は意図して、テーマに合った表現としてそういう描写を選択しているのだ。写真集の形式をとっているが、カメラマンというより作家の作品として受け止めた方がいいかもしれない。


****以下は蛇足*****

デジカメ全盛の昨今、デジカメ掲示板は解像度がどうだ、周辺減光がどうだ、ホワイトバランスがどうだ、と描写論議でかまびすしいが、この写真集を見ていると、無言のうちにそうした描写性能オタクたちを批判しているように思えてくる。どれだけきれいに写るかより、被写体になにを感じとり、なにを表現するのかが重要であることを、この野良猫写真集は改めて教えてくれている気がする。
人様のことはあまり言えないのだが、撮るべきテーマを持たずして、カメラやレンズ性能ばかり追求するのは本末転倒というべきだろう。