2008-06-14_14-49-36.jpg

プライド(自尊心)について思うところを少し書いてみたい。昨今“切れやすい”若者が増えたと言われるが、それは高すぎるプライドが原因ではないかと思うからである。

単なる印象にすぎないが、秋葉原殺人事件の加藤智大もかなりプライドの高い男だと思う。自分の容姿を実際以上に“ぶさいく”と決めつけていたのも、謙虚さからではなく高すぎるプライドから生じた投げやりな認識ではなかったか。

プライドが高い(高すぎる)といった言い方をしているが、それでは高すぎるプライドとはいったい何にたいして高いのだろう。それは世間が認める能力/実力に対してである。もし世間の評価どおりであればそれは高くも低くもない。実力以上にプライドが高い場合に高すぎるプライドと呼ばれる。“空威張り”という言葉を援用するなら、実力の裏付けのない高すぎるプライドはいわば“空プライド”である。

“空プライド”は自己イメージを守る鎧である。自分をかっこよく見せたい若者はたいていプライドが高いものだから、25歳の加藤の“空プライド”が高かったとしても特別な意味はない。しかし、若者の“空プライド”は根拠のとぼしい過大な自己評価に支えられているにすぎないから、世間では通用しないことが多い。そして世間の評価と自己評価とのズレが大きいとストレスや軋轢、自信喪失、怒りの原因になり、心理的抑圧が増大する。
高いプライドと世間の評価(現実)の間の深刻な齟齬が、加藤という男に必要以上の劣等意識と激しい怒りを持たせる一因となっていたのではないかと思うのである。

                  *********

若者のプライドで思い出すのは、『コーチ』という本である。以前『カメラ的日乗2.0』にこの本の感想を書いたことがあるが、ここでの都合にあわせて引用する。

この本は、今はベストセラー作家になった著者が中学時代の熱血教育者の思い出を綴ったノンフィクションである。
身長193cm、体重100kgの名物コーチ・フィッツはバスケット・ボールとベースボールのコーチで、鬼のように恐れられる存在だった。しかし、時代が変わり、彼の熱血コーチぶりが世論の逆風と父兄の反発にあうようになり、彼は学校を追われようとしていた。そんな噂を耳にした著者は数十年ぶりにニューオリンズの母校を訪ねて、かっての恩師の苦悩を知る。そして世間の風潮への反論として、また、恩師への感謝と尊敬の念を伝えるためこの本を著した。

コーチ・フィッツは言う。

「今時の子供は、生まれたときからプライドを尊重されている。だんだんにプライドを培っていくわけじゃない。だから叱られたりすると、とんでもない侮辱を受けたと憤慨する」

昨今の若者が“切れやすい”などと言われるのも、尊重されすぎたプライドが一因ではないか。昔は、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」「可愛い子どもには旅をさせろ」「他人の飯をくってこい」などということわざがあった。これらのことわざは、厳しい浮世で鍛えられることで、子どもが一人で生きて行ける力をつけるよう願う親心を表したものであるが、子どものプライドを培うための修行とも解釈できる。
しかしそれがいまでは、親の欲目や過度な干渉のせいで、子どもたちの修行の場が奪われ、“空プライド”の若者ばかりになってしまったのではないだろうか。子どもが変わったというより親が変わってしまったのである。

ある学校の学芸会「白雪姫」で、どの親も自分の子どもを主人公にさせたがり、結局白雪姫が25人になってしまったという。いくらモンスターペアレントとはいえにわかには信じがたい報道だが、さらに驚くことに白雪姫が25人いてもかまわないと答えた父兄が少なくなかったというのだ。
自分の子どもが主役になれさえすれば他はどうでもいいのである。いや、子どものことを考えているかどうかもわかったものではない。実社会ではこのようなゴリ押しが通用するはずもないから、社会人になった後を心配して挫折に耐えられる子どもにすることが重要なのに、子どもに「旅」をさせず、親のコントロールできる狭い領域に閉じこめてしまうのは親のエゴでしかない。これなどは子どもから社会修行の場を奪う極端な例と言えるだろう。

コーチ・フィッツはこうも言っている。

「なにしろ、おれが何かやろうとするたびに、親が口出ししてくるんだ」

コーチ・フィッツとにって、プライドとは与えられるものではなく、経験を積み重ねる中で自らが獲得してゆく性質のものである。しかし、今の子供は親に大事にされるあまりそうした経験を積む機会を奪われているのだ。

加藤智大も母親の過度な干渉の元で育ったと報じられている。彼の母親は智大が着る服まで管理していたという。彼もまたプライドを培う修行の場を奪われ、“空プライド”が是正されることがないまま社会人となり、当然世間には通用せず、傷つき、憤懣と怒りを蓄積させ、最後に噴出したのではなかっただろうか。

以上でプライドについての考察はオシマイにしてもいいのだが、一言付け加えると、製造現場において派遣社員が従事している単純作業は何年続けてもプライドが培われることのない絶望的な仕事である。若者にプライドを培うチャンスを与えず、消耗品のように働かせることを認めた派遣法は即刻廃止すべきだ。消耗品にプライドはいらないが人間はそれが必要だからである。

派遣労働者として働く若者たち