BiND2をバージョン2.11にアップしたら動作が劇的に速くなりました^^
「高速モード」にする必要は感じません。すごく速くなりました。
うれしいです、っていうか、できるのならはじめからそうしてくれよ、というのが本音です。
でもよかったよかった。WINDOWSユーザーもこれで一安心です。
デジタルステージさん、ありがとう。



スナップ写真は演出があってはならない、という観点からスナップ写真を考察する。
↑タイトルです^^
長いタイトル同様、テキストも長くなりそうなので何回かに分けてアップすることにします。またかなり理屈っぽくなりそうなのでこのテーマに関心の薄い方はスキップしてください。

1)そもそも「スナップ」とはどういう性質の写真なのか。
2)なぜスナップに演出があってはいけないのか。
3)スナップに演出があったとわかった場合、見る人にとってスナップ写真はどのように変化するのか、あるいはしないのか。


およそこのような命題で書く予定ですが、考えが十分まとまらないままアップするので、途中で内容が変わる可能性もありますし、後で書き直すこともあります。どのような結論になるかもまだ心許ないです。気軽に読んでもらえると助かります。
ちなみに、土門拳が「絶対非演出、絶対スナップ」という概念をかって提唱しているようですが、不勉強なのであまり理解していません。あくまでわたしなりの極私的なスナップ論です。
あまり難しいコメントはしないでくださいね^^


1)そもそも「スナップ」とはどういう性質の写真なのか。

ドアノーの例の有名な「市庁舎前のキス」が実はモデルを仕込んだ演出写真だったとわかったときはがっかりした。しかしなぜがっかりしたのだろう。演出だとわかったことで写真から何かが失われてしまったのか、あるいは何かよけいなものが付加されたのか。しかし演出写真だと知らされた後でも写真に演出臭さや不自然さが見つかったわけではない。非演出のスナップと信じ込んでいた時とまったく変わらず同じに見える。それなのになぜがっかりしたのだろう。

以前、ベストセラーになった講談社のノンフィクション本が、後になって不自然な内容が指摘され、フィクション部分のあることがわかり批判された。この時わたしの友人の一人が「おもしろかったからどっちでもいい。」と発言したのには心底驚いた。フィクションとノンフィクションを区別しない人がいることをこのときから意識するようになった。
沢木耕太郎の『凍』の帯には、「もはや、フィクション、ノンフィクションの区別に意味はない。」とある。沢木弘太郎はかってノンフィクションの旗手として若い読者に支持された作家である。もし彼のベストセラー『深夜特急』が実はフィクションだったと言われても、おもしろかったからどちらでもいいと考える読者がいるだろうか(もしいたら困るな)。『凍』の帯のフレーズは沢木のノンフィクション作家としてのこれまでの実績をふまえた上での一種のレトリックだと思うが、フレーズのまま率直に受け取るなら、区別は歴然と存在すると言うしかない。ノンフィクションでないならフィクションである。両者の中間的なものはないし、両者の区別には明白な意味がある。
『凍』はノンフィクションとして読んだ。もしフィクションなら買わなかっただろう。


我々は決して世界をあるがままに見ているわけではない。我々の外界認識は「文化コード」という無意識のフレームに支配されている。写真も(たぶん無意識のうちに)カテゴリーというフレームを当てはめて見ている。風景写真、昆虫写真、鉄道写真、人物写真…といったカテゴリーである。スナップ写真もこうしたカテゴリーのひとつである。

しかし写真のカテゴリーの話をする前に、少し遠回りになるが映画の「ジャンル」の話をしたい。映画のジャンルの方がわかりやすい(説明しやすい)からだ。
ハリウッド映画にはウエスタン、SF、ホラー、コメディ、恋愛、アクション――といったジャンルがあり、われわれはそれらを受け入れた上で映画を観ている。
宇宙人が登場してもそれがSFなら驚かないし、墓場からゾンビが出てきてもホラーなら不思議に思わない。オーバーな演技でもコメディなら普通だし、男女が恋愛ばかりしていても恋愛映画というジャンルの映画だと理解すれば不自然とは感じない。ジャンル特有の表現形式をあらかじめ承認しているからリアリティーの面からおかしく感じてもその感覚を修正して映画に合わせて観ている。
しかしもしシリアスドラマの中に宇宙人やゾンビが出てきたりしたら途端に不自然に感じる。それは前提となるジャンルが違うからだ。
例えば、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』は宇宙人が出てきたことでルーカス・スピルバーグファンの不評を買った。『スターウォーズ』『未知との遭遇』『ET』はSF映画だから宇宙人が出てきてもいいが、、冒険活劇である『インディージョーンズ』では宇宙人を許容できない。映画を鑑賞する前提としてのジャンルが違うのだ。

ジャンルを前提に映画を観ているように、我々は写真のカテゴリーを前提に写真を見ている。ここで取り上げようとしているスナップもカテゴリーのひとつであり、そのカテゴリーに特有の条件の下で我々はスナップ写真を見ているのである。
それではスナップと呼ばれている写真のカテゴリーはどのような性質をもっているのだろう。
(つづく)






XDR-TB
薬が効かない結核は超多剤耐性結核(XDR-TB)と呼ばれる。
日本でも薬の効かない手ごわい結核が各地で出ているという。

http://www.xdrtb.org/photographs.php
http://medical-today.seesaa.net/article/30239313.html