
秋の空の定番、うろこ雲の登場です。
東京もすっかり秋が深まってきました。暑くもなく寒くもない、過ごしやすい日がしばらくつづきます。「死ぬのにとてもよい」季節なのかもしれません。

「今日は死ぬのにとてもよい日だ」
本来なら口にしたくない言葉であり、暗いイメージしかもたない「死」という観念を、あっけらかんと明るく肯定したネイティブ・インディアンの詩は、そのさばさばした明るさが読者に意外性を与えたせいか、ネットでも多く引用されている。
もともとは、プエブロ・インディアンの古老の言葉であり、アメリカはサンタフェ近郊に住む作家・写真家のナンシー・ウッド http://goo.gl/XB1q3 の著作を通じて知られるようになった。
今日は死ぬのにとてもよい日だ
あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている
あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている
すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている
すべての悪い考えは私から出ていってしまった
今日は死ぬのにとてもよい日だ
私の土地は平穏で私をとり巻いている
私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた
わが家は笑い声で満ちている
子どもたちが帰ってきた
うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ
日本語訳は料理研究家の丸元淑生氏(「地方色」に収録)
「今日は死ぬのにとてもよい日だ」と言えるような満ち足りて穏やかな死を迎えるためには、そう言えるだけの生き方がまず前提としてなければならない。
「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネは、庭で倒れて死ぬ間際に「人生は美しい」とつぶやいた。裏社会に生きた犯罪者であっても、それまでの自分の人生を肯定できるならば最期の時は「死ぬのにとてもよい日」となる。
だが、こしかたを振り返った時、そこに後悔や不平を感じる人生だったら、たとえ社会的に成功したとしても、財産を残せたとしても「死ぬのにとてもよい日」を迎えることはできないというわけだ。しかし、後悔も不満もなかった人生というものが果たしてどれだけあるだろうか。
けっこうハードルが高く、人生の厳しさを含意した詩なのであった。

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.